京都御所南 Gallery ICHIHARU アートお喋り空間

教養は一流の人脈をつくる。京都のアーティストが超一流の人生から学んだ、実学の教養空間。

「日本画家に天才はいない」という意味

こんにちは。
毬紗です。


質問の、お返事代わりの記事です。


京都日本画家協会から、協会展の出品の案内が届きました。

日本画家」というジャンルにいることを、改めて実感します。


私の日本画は、近代以降に見られる、抽象的な造形を多く使う技法を採用しています。

ですが、画材や絵具は、平安時代の絵巻にも使われるような、古典的なものが主流です。


私は、日本画のロジカルな面が好きです。

様式があり、画材の制約があるのが、面白いのです。

運筆がデタラメだと美しい画面になりませんし、絵具に入れる膠の量が多くても、少なくてもいけません。

訓練の必要な絵画だからこそ、いつまでも飽きません。


以前、中谷塾さまの【遠足塾】で、日本画についてお話をさせていただいたときに、

日本画家には、世に言われるような『天才』は存在しません」

と言いました。

私の、まったくの持論です。

反対される方も、多いでしょう。

これは、明治時代に西洋から「輸入」された「天才論」をもとにした考えです。

こちらの本が、参考文献になります。


日本の美術業界は、明治時代にブームになった天才論に基づいた、

「熱狂的で、自然に発露する、独自の才能」

を評価している傾向がありました。

私も若い頃は、狩野派のような、「様式」を継承することに対しての評価は、「天才論」のきらめきの前では、色褪せるように感じていました。

ですが、様式という制約のなかから、新しいものが生まれることもあります。

俵屋宗達尾形光琳酒井抱一と、次々と私淑で継承されていく「琳派」に、日本独自の、芸術の「熱狂的で、自然に発露する才能」をみることができます。

継承によって、天才的と言える仕事が生まれています。


15歳から、日本画を描き続けてきました。

若い頃は、ロマン派的な「天才」に憧れたこともあります。

ですが日本画では、独自性の追求に重きを置く画家ではなく、伝統的な様式を追求したなかから、次第に独自性を開花させる画家の作品が、後年も高い評価を得ている事実があります。

「自分の才能を主にする『天才』に憧れるのではなく、『日本画』という技法、様式を軸に制作することが、芸術性の高い作品が描けるのではないか」

日本画の世界で、先人たちの絵から学び、先輩たちの行き方を近くで見せていただいた経験からの、実感です。