京都御所南 Gallery ICHIHARU アートお喋り空間

教養は一流の人脈をつくる。京都のアーティストが超一流の人生から学んだ、実学の教養空間。

「まだ教えてもらっていない、素晴らしい秘訣」を求める心を捨てると、伸びて行く。

こんにちは。
毬紗です。


メールのお返事です。

「先生の授業が、普通すぎてつまらないです。制作も合評も苦痛です」

こういう悩みは、よく聞きます。


「先生」というフィルターを通して見てしまうと、

「自分を教えるのは、優れた先生であってほしい」

との願望が強くなる人がいます。

あなたの期待感が大きいと、失望感も大きくなります。


なによりも、過去に多くの生徒を見ていたとしても、あなたという個性に、初めて出会います。

あなたのことが、理解できているわけではないのです。

過去の経験を通して、「この子には、こうすればいいんじゃないか」いう予想をもとに指導しています。

セッションでも、伸びる人は、

「先生の意見は、参考程度にする」
「自分にはない考えを教えてくれる人と、割り切っている」

という傾向があります。

先生を、特別な存在にしていません。

相手を信じきってしまわない、理性的な態度が、社会的な成功には不可欠なのだと予想しています。


先生との関係は、親子関係のあり方に似ています。

「先生だから(親だから)、私を理解してくれているはず」

「先生だから(親だから)、私が喜ぶことをしてくれるはず」

期待が大きければ大きいほど、相手を神様のように盲信したり、感情的に接近と反発を繰り返したりします。

先生(親)も、生徒(子供)への期待が大きければ大きいほど、要求が多くなり、自分のテリトリーへ囲い込もうとします。


この心の動きは、

「もしかしたら、この世の中には、自分が知らない<素晴らしい秘密>があるのではないか」

という、「知らない自分は、損をしているかもしれない」という欠乏感からも生まれます。

「誰でも1億円の年収になれる秘密をお伝えします」というような広告は、その心理を刺激して、集客しています。

そんな秘密は、ありません。

ですが、劣等感コンプレックスの強い人ほど、

「この世の中には、まだ自分が知らない素晴らしい<秘訣>があって、それを教えてくれる人こそ、私の先生であってほしい」

と望むのです。

「知らないから、自分は満足する立場にいない」

「知ってしまえば、満足できる人生になる」

魔法のアイテムを探すように、「これが<秘訣>だ」というものを求めます。

その人と引き合うのは、劣等感の強い先生です。

他者よりも優れた人に見せるために、「素晴らしい<秘訣>を教えたい」と願います。

重大な秘訣を知っているかのように振る舞います。

そして、自分から指導を受けられる生徒は、秘訣を教わる資格がある「選ばれた人」だと演出します。

次第に、自分自身でも「自分が指導する内容は、特別なんだ」と思い込んでいきます。


ですが「教える」という仕事の本質は、「その人の持つ良い資質を伸ばす」という、生徒の自発性を促すものです。

あなたに魔法のアイテムを手渡すことではありません。

あなた自身のなかから、「これは得意だ」「これなら夢中になれる」というものを探し、伸ばすことが、教育の目的です。

あなたを本当に成長させてくれる先生は、自己主張が少なく、受け身に見える、一見つまらない先生である可能性が高いのです。


万能な人はいません。

先生であっても、親であっても、あなたとは違う人なのです。

先生の合評は、ありふれていて、あなたにとってはつまらない内容かもしれませんが、それが普通なのです。

「まだ教えてもらっていない、素晴らしい秘密」を求めるフィルターを外して、指導を受けてみてください。

あなたを自立させ、のびのびと自由に可能性を伸ばしてくれる先生は誰か、現実が見えてくるでしょう。


ミサでの、「血を食す」ということで「ワイン」と、日本の祭事での「大陸から伝わった血を、水に置き換えた」との違いが、面白いです。「血は神様が食するもの」。なるほど。