京都御所南 Gallery ICHIHARU アートお喋り空間

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女性の苦しみを『源氏物語』で救う。

こんにちは。
毬紗です。


川端康成『一草一花 現代日本のエッセイ』を、一語一句、噛みしめるように、繰り返し読んでいます。


ノーベル文学賞受賞者となった川端は、『源氏物語』の現代語訳の準備を始めていました。

完成することはありませんでしたが、読んでみたかった。

源氏物語』の「もののあわれ」を、川端なら、どう表現したでしょう。
もののあわれ平安時代の、美的観念のひとつ。しみじみと、心に広がる情感や寂寥、無常感といったもの。


川端はエッセイのなかで、『源氏物語』のクライマックスといえる段『宇治十帖』の、高僧が、宇治川に身を投げた浮舟を助けたときの言葉を、取り上げています。

宇治川の流れは、現在も、意外なほど早いのです。

激しい死に、浮舟は身を投げます。


原文を引用しますね。

池に泳ぐ魚(いを)、山に鳴く鹿をだに、人に捕らわれて、死なむとするを見て、助けざらむは、いと悲しかるべし。人の命、久かるまじきものなれど、残りの命、一二日をも惜しまずばあるべからず。鬼にも、神にも領ぜられ、人に追われ、人にはかりごたれても、これ、横ざまの死にをすべきものにこそあめれ。仏の必ず救い給うべき際なり。・・・・・・助けこころみむ。遂に死なば、いうに限らず。

「美の存在と発見」川端康成『一草一花 現代日本のエッセイ』講談社文芸文庫


ここでいう「横ざまな死」とは、鬼にも、神にもとり憑かれ、人に捨てられ、謀(はか)りごとをされ、生きる道を失なった、非道で道理に合わない死です。

散々な死です。

浮舟は、男性の思惑に、振り回される女です。

「魂に芯がない女」とも言えます。

ですが、そういう人こそ仏が救うのだと、川端は哲学者・梅原猛(1925 - )の言説をかりて、説いています。

「そういう人間こそ、仏が救いとるのだ。まさに大乗仏教の核心なのである。」
「生きる道を失い、自己の命をたたねばならないような人間、そういうしょうがない人間こそ、仏が救う人間なのだ。」
「それは大乗仏教の核心であるとともに、紫式部の確信であったかにみえる。」


仏に救いとられる人間は、高僧ではなく、浮舟のような、人にいいようにされ、かといって経験をいかして賢くなるわけでもなく、終始憑かれたような振る舞まいをし、恋人を裏切り、罪を犯した、愚かな女だと。

源氏物語』には、数多くの苦しい思いを抱えた女性が登場します。

罪をかぶる女。

嫉妬する女。

あきらめる女。

彼女たちを救うかのように、紫式部の筆は、最後は浮舟を救うのです。

紫式部は浮舟をいつくしんで、清浄のさかいへ静かにおもむかせて、『源氏物語』を終って、余韻嫋々と残しました。


川端は、紫式部の、人間の業の深淵に迫る筆が、最後は阿弥陀如来の来迎図を描いたと感じたのでしょう。

川端源氏を、読んでみたかった。