京都御所南 Gallery ICHIHARU アートお喋り空間

教養は一流の人脈をつくる。京都のアーティストが超一流の人生から学んだ、実学の教養空間。

最後に私の《ラス・メニーナス》解釈。

こんにちは。
毬紗です。

この記事の続きです。
 
b-k.hateblo.jp


今度は、私のベラスケス《ラス・メニーナス》の解釈です。

さて、この絵の主役は、一体誰なのでしょう。

タイトルは《侍女たち》です。

素直に受け取れば、王女マルガリータに従う侍女たちが主役ですよね。

ですが鑑賞者は、まずは画面中央に立つ、幼いマルガリータに目を奪われるでしょう。

画面右の窓から、神々しい光が彼女に射しています。

多くの絵画では、光は主役を照らます。

王女は絵の中から「私が主役よ」と言わんばかりに、鑑賞者へ真っ直ぐな眼差しを送っています。


「眼差し」を手がかりにするのなら、裏返しの画布の横に立つ画家も気になりますね。

画家は裏返された画布から少し離れ、描くべきものを見つめるような眼差しで、鑑賞者を凝視しています。

さて、マルゲリータも、画家も、こちら側にあるなにを見ているのでしょう。


答えは意外にも、絵の中に示されています。

王女の頭上付近の鏡の中に描かれた、2人の高貴な人、フェリペ4世と王妃マリアーナです。

鏡に写る夫国王妻は、絵画のパースペクティブを越えて外の世界にはみ出しています。

鑑賞者と同じ空間に立っているのだと、想像してみてください。

すなわち、マルゲリータと画家の視線の先には、国王夫妻がいます。

ベラスケスは鏡を使うことにより、空間を超えて見つめ合う両者の眼差しを描き出しました。


よってこの絵の主題は、国王夫妻の見た景色です。

そして主役は、その<特権的な眼差し>が送られるべき者、王女マルガリータです。


では《侍女たち》のタイトルは、なぜつけられたのでしょう。

「侍女」と「国王夫妻」との対比は、トロンプルイユ(騙し絵)を好んだベラスケス特有のアイロニーにも取れます。

あえて彼は、夫妻が目を配ることのない存在を選びました。

それはユダヤ系の彼が受けた、排除されるべき者への<特権的な眼差し>への批判も、含まれてはいないでしょうか。


宮毬紗 《侍女たち》への眼差し