京都御所南 Gallery ICHIHARU アートお喋り空間

教養は一流の人脈をつくる。京都のアーティストが超一流の人生から学んだ、実学の教養空間。

マルセル・デュシャンの、新しさが格好いい。

こんにちは。
毬紗です。


久しぶりに、デュシャンは語る』を読み返していました。



マルセル・デュシャン(1887 - 1968。フランスの美術家)は「既製品の便器を美術館に飾ろうとした芸術家」で有名な人です。

作品タイトルは《泉》(1917年)です。

予想に違わず、展覧会の審査員に展示を拒否されています。

アートにおける「新しいもの」は、破壊的です。

既存のものを粉々にして、再起不能にするくらいの威力があります。

安定を望む層からは嫌われます。

以下の理由で、《泉》は美術作品とは認められなかったのです。


1、便器はトイレに設置されるものであって、美術館に飾るべきものではない。

2、1点ものではない。どこにでもあるもの。


美術作品は、「美術作品らしい」「1点もの」でなければいけませんでした。


デュシャンは、レディ・メイド(本来の使用目的ではない使い方をされた既製品。美術作品として展示)という概念で、既存のアートの概念を壊し続けました。

今でこそ、彼のやっていることは珍しく感じませんが、当時では、相当な変人です。

この本でも、デュシャンの「新しさ」についての言及が、格好いい。

美術批評家のピエール・カバンヌの質問を、スマートにこなしていきます。

例えば、「あなたは、抽象的であったことは一度もない?」という質問に、

言葉の現実的な意味で、ありません。『花嫁』のようなタブローが抽象的なのは、そこに形象化がないからです。しかしそれは狭い意味での抽象ではありません。それはお望みならば内臓的であるといってもいいものです。
抽象主義者たちが40年以降やってきたことをみると、最悪とした言いようがありません。まったく視覚的なのです。彼らは本当に首まで網膜につかっている!

マルセル・デュシャン 聞き手ピエール・カバンヌ 岩佐鉄男小林康夫訳『デュシャンは語る』ちくま学芸文庫

と答えています。

くだけていえば、

「私の作品は、これまで<抽象画>と呼ばれたものと同じじゃないよ。あの人たちは、目でものを<見る>ことに、こだわり過ぎてるよね。私の作品は、目が主役ではなく、身体のなかから出てきたもの。目で見たものに囚われているなんて、最悪だよね」

という感じでしょうか。

イケてます。